ロレンツォが生きている間、自由だったから、適当に、風紀や風俗は乱れていたんのですね。
(引用開始)
『隠されたヨーロッパの血の歴史ーミケランジェロとメデチィ家の裏側』 副島隆彦著
偉大なロレンツォが死んでしまったら、そのあと、フィレンチェは権力の真空状態になった。 この脆弱フィレンチェ4年間のにサヴォナローラが調子に乗ってやりたい放題の神聖(神権)政治をやってしまった。 神聖(神権)政治なるものがどのくらい過激な思想・生活統制かは簡単に説明できない。 オーストリア人ツバイクは『権力とたたかう良心』(1936年)で僧侶ジャン・カルヴァンがジュネーブの都市で実行した神権政治(テオクラシー)が後のソビエトのスターリン主義の原型になったのだ、と書いた。おそらくそうだろう。 神権政治は民衆が笑うことさえも禁じた。神の名による恐怖政治である。それでサヴォナローラはフィレンチェの上層市民たちから激しい憎しみ、憾みを買って、4年間の独裁政治のあと火炙りの刑にされてしまった。
(中略)
サヴォナローが火炙りの刑にさらされた年に、ランディーノも死んでいる。ピコ・デッラ・ミランドラは、サヴォナローラよりも4年早く毒殺されている。フィッチーノも1499年に死んだ。ポリツィアーノもおそらく殺された。ここで大きな政変、政治的反動の嵐が吹き荒れたと考えるべきだ。暗殺につぐ暗殺があって人文主義者たちは、殆どが殺されていった、その一部始終をミケランジェロは、じっとそばで見ている。ミケランジェロは1475年生まれだから、1499年までの政変の時は、まだ23歳だ。この時期にフィレンチェで人文主義の知識人たちの主要な人々が死んでしまったのだから、ルネッサンス思想運動は壊滅したのだ。
(引用終わり)
サンマルコ修道院
『花の都(フィレンツェ)に捧げる』森川久美著では、
ナポリから還ったロレンツォがここでサヴォナローナと出遭ったところから始まる最後の晩餐 の絵もあった
老コジモの独居房 サヴォナローラの独居房