THURN und TAXIS(トゥルン・ウント・タクシス家) |
欧州の大金持ち貴族タクシス家の館を観に Regensburg(レーゲンスブルク)へ
欧州の郵便はホルンのマークです、これはタクシス家の紋章からの由来です。
タクシス家は、12世紀ミラノの支配権の戦いのあとベルガモに住み、
1489年神聖ローマ帝国で郵便事業を始めました。
1748年 レーゲンスブルクの国会の永久代表に指名されました。
この切符はバイエルン州の「青春18切符」ようなもの。
駅に着き、必死に走って10:30からの見学に間に合った
THURN und TAXIS
オーストリア散策 「トゥルン・ウント・タクシス家のボロ儲け」
同家の郵便事業の始祖はドイツ名でフランツ・フォン・タクシスという人でした。その参入のきっかけは、1489年にハプスブルク家の皇帝マクシミリアン1世の郵便物を請け負ったことにあります。
フランツの前の時代にも、郵便物を運ぶ人がいることはいました。しかしそれは、学生、修道院、あるいは個々の商業組合の飛脚が単発的にあったというレベルにすぎません。一方、フランツの郵便システムは駅を作って馬車と馬車で手紙をリレーするという組織的なもので、配達のスピードもさることながら、その配達距離も従来の飛脚とは比べ物にならないほどの優れたものでした。
(引用終わり)
ルネッサンスのフィレンチェのメジチ家頭首にロレンツォが1492年死にましたので、その後を引き継いだってことでしょうか? メジチ家も戦争での兵站で大もうけしたようですが、当然、襲撃されるので、運んでいたのはユダヤ人でしょう。 その頭がロス茶家とすれば、タキシス家の下請けロス茶家ですね。
タキシス家は、ウィーン体制の後押しによって、ヨーロッパ各地に路線網を広げ そして、郵便馬車には、ロス茶専用の隠し戸が備えられ、秘密の小箱は検閲なしにヨーロッパ中を駆け巡り、ロス茶が、各国政府と深くかかわるようになったのでした。(『秘密諜報員ベートーヴェン』 古山和男著)