那覇マラソンが終わり、翌日の飛行機の時間まで、那覇を観光。
その時の観光ブックが
『本土の人間は知らないが、
沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド 』
沖縄って、米国の軍事基地だらけ。
では、その地図を(本を引用)
滋賀県の琵琶湖みたいなもんですね。
まずは、マラソンの当日の 「那覇軍港」 「那覇軍港」 は、那覇マラソン参加者のための駐車場として開放。那覇軍港の位置的な場所は、東京では”日の出桟橋”
大阪では”天保山”といったところです。
市内からは那覇空港の方が遠く、私が泊まった旭橋のホテルから歩いて15分
沖縄に戻ってきたのは施政権だけ、沖縄サミットで先進国G7に日本領と認めさせた。
カイロ会談
1943年12月1日、カイロ会談の合意事項として発表された、アメリカ大統領F=ローズヴェルト、イギリス首相チャーチル、中国主席蔣介石が署名した、無条件降伏後の日本に対する処理方針についての宣言。その内容は、
1)日本は満州、台湾、澎湖島を中国に返還すること。
2)日本は1914年以来獲得した全ての太平洋上の島嶼を手放すこと。
3)朝鮮は、適当な時期に独立すべきであること。
ポツダム宣言
(8)カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。
サンフランシスコ講和条約
第三条
日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
沖縄返還 → 施政権返還
ポツダム宣言受諾で沖縄は、連合国領 or 日本領(カイロ宣言で、日本領は1914年前までの統治)の説があるが、那覇市立教育研究所の資料では、日本領を否定。
サンフランシスコ講和条約で米国が施政権を行使
沖縄返還 → 施政権返還
それに先立ち7月26日にはアメリカ、イギリス、中国の三国は、ドイツのベルリン郊外 のポツダムに集まって、負けた後の日本をどうするかを決めていました。そのとき発表されたのがポツダム宣言 です。この宣言は、沖縄の戦後の運命を決定しました。まず、日本の領土としては、本州 、北海道、九州、四国と連合国が決定するいくつかの島々でした。沖縄は、ふくまれていません。アメリカは沖縄に上陸したときから、沖縄を占領するつもりでした。それは、太平洋における沖縄の場所が重要だったからです。そのため沖縄は、日本国から切り離され、アメリカ軍に支配されたのです。(引用 :
極東ブログ 2004.03.26 )
ところで、1972年に沖縄本土復帰というが、ここで復帰したのは、施政権だけである。領土ではない。
せめて沖縄県の範囲くらいは領土的に落ち着けなくてはいけない。 そこで、最大の秘策としてできたのが沖縄サミットだったのだ。 沖縄に先進諸国の雁首を並ばせておけば、もう日本の領土ではないとは口が裂けても言えやしない。小渕よ、野中よ、そこだけは感謝するぜ。
(引用終わり)