「自民党の憲法改正案の問題点」 想田和弘監督解説 |
1946年11月3日、昭和天皇「この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたい」。
1989年1月9日、今上天皇「国民と共に日本国憲法を守り」。
2012年12月14日、安倍晋三自民党総裁「みっともない憲法ですよ、はっきり言って」。
映画 『演劇1・2』 の想田和弘監督が、自民党の憲法改正案の問題点をtwitterで述べられているのでそのまま写しました。
(転載開始)
基本的人権の尊重はきちんと前文に書いてありますよ
@KazuhiroSoda 勿論です。だけどそれを骨抜きににする仕組みが巧妙にしかけてあるんですよ、自民改憲案には。
→「同性愛者への人権施策は必要ない」自民 アンケートに回答
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/12/05/kiji/K20121205004710960.html
自民改憲案と合わせて考えれば、同性愛者の人権は「公益及び公の秩序」に反するので制限できる、というのが自民党の考えだろう。恐ろしいことです。
天賦人権説とは、平たく言えば、男も女も異性愛者も同性愛者も健康な人も病気の人も障害のある人もない人も子供も老人も右翼も左翼もアナーキストも、生まれながらに人権がある、というもの。 自民党は改憲案でそれを公式に否定し義務とセットにした。
つまり義務が果たせない人間には人権がない、と更に自民党改憲案は、人権を制限するものとして現行憲法にある 「公共の福祉」 を書き換え、 「公益及び公の秩序」 とした。 「公共の福祉」とは、Aさんの人権が制限されるのはBさんの人権と衝突する場合のみ、という考え方。それに対し 「公益及び公の秩序」とは社会や国の利益と秩序を指す。
言葉を言い換えただけじゃないかと疑う人は自民のQ&Aを読んで。
「「公共の福祉」という文言を「公益及 び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにした」 自民のQ&A Q14
http://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/kenpou_qa.pdf
自民党改憲案のQ&Aには次のような言い訳も載っている。
「なお「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。 「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します」
→ 「個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、 当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません」。 しかし、他人への迷惑を心配するなら、まさに「公共の福祉」で制約すればよいだけのこと。ごまかしである。
つまり自民党の改憲案では、平たく言うと国家の利益や秩序のために個人の人権を制約できることになる。
政府が考える「国益」に反する行動や集会や映画や演劇や論文や詩や研究や教育や法律は、憲法の名の下にすべて違法化できる。改憲案の起草者はそのことに極めて自覚的であり、確信犯である。
この条文が意味するところは、もはや明らかだろう。→
[自民改憲案]第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」が禁じられている。
「そんなの禁止して当たり前じゃないか」と思うかもしれないが、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を認定するのは政府以外に考えにくい。つまり恣意的に政府批判を禁じることもできる。
中華人民共和国憲法第35条には「中華人民共和国公民は、言論、出版、集会、結社、行進及び示威の自由を有する」とあるが、
第51条には「その自由及び権利を行使するに当たって、国家、社会及び集団の利益並びに他の公民の適法な自由及び権利を損なってはならない」とある。
自民改憲案と同じ構造。
[ 自民改憲案]第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。
個人の財産すら、国が国益を理由に自由に没収できる→
[自民改憲案]第二十九条 財産権は、保障する。
2 財産権の内容は、公益及び公の秩序に適合するように、法律で定める。この場合において、知的財産権については、国民の知的創造力の向上に資するように配慮しなければならない。
人権は義務とセットという考えも条文化→
[自民改憲案]第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。 国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
自民改憲案では、拷問及び残虐な刑罰も 「絶対に」 禁じるわけではない。 →
[現行憲法]第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
→ [自民改憲案]第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。
自民改憲案では丸ごと削除された。→
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
ブログにまとめました。「自民党改憲案は「憲法の破棄」である。」
http://documentary-campaign.blogspot.jp/2012/12/blog-post_10.html
>>>拡散希望「(自民党の改憲案は)全権委任法と同じ効果を持つ、恐るべき案」 たきもとしげこ(法律学者)...
http://skmtsocial.tumblr.com/post/37628588064
その「改正」案99条には次のような文言がみられます。
「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる(後略)」
これはまさに、全権委任法(ナチス)と同じ効果を持つ、恐るべき案です。
(転載終わり)
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
(転載)
内田樹@levinassien
その場の「気分」で改憲が出来ないように憲法96条を定めた先人の知恵に感謝します。アメリカの統治システムは「人民はしばしば愚かな政治家を為政者に選び出す」ことを勘定に入れて、それがもたらす災厄を最少化するために制度設計されていました。建国の父たちの人間観察は深いですね。
(転載終わり)