ミトラ教3 - 三アフラ教 |
(引用 : 西方ミトラ教の歴史 )
アケメネス朝ペルシアの祖キュロス(在位前559~530年)にとって、メディア帝国との連合を維持し、その軍事的支援を受けることは、最重要の課題であった。それゆえ、メディアの国教ミトラ教に干渉することはなかった。 記録によれば、キュロスは、メディアのマギ団を「対等なる同胞」と呼び、礼を尽くしている。これにより、キュロスはメディア軍の支援を受けることに成功し、カルデア帝国を併合することができた。キュロスの夢は、その子カンビセス(在位530~522年)に引き継がれた。カンビセスは、はるかエジプトまでを征服し、アケメネス朝の領土を極限まで拡張した。しかし、エジプト遠征の最中に、バビロニアでマギ・ゴーマタの叛乱が起き、これを鎮圧に向かう途上で死んだ。
(引用終わり)
(引用: ミトラ教の歴史1 新版 )
もともと、イラン系民族は、アフラミトラを至高神としていた。 天空の中心に太陽が現れるように、目に見えない神アフラミトラは、美少年の姿でこの世に現れる。 このように考えられていた。時代が下るにつれて、ミトラ崇拝はますます強まっていき、ミトラの人間化が進んだ。 それとともに、ミトラの神力の源泉である智慧*をないがしろにする傾向が現れた。 この傾向に警鐘を鳴らし、アフラミトラの神力の源泉となっている智慧をもっと大切にするべきだと唱える者たちが現れた。 この中にザラスシュトラ*がいる。この運動はやがて、アフラ=マズダーなる神を創作するにいたった。これがゾロアスター教(マズダー教)である。ゾロアスター教は、絶対二元論を構築し、善と悪を妥協の余地のない対立物にし、ミトラの第一の従神であるアリヤマンを絶対悪として敵視した。
(引用終わり)
ペルシャでは「アフラ=マズダー、ミトラ、女神アナーヒター」を至高三神団と定めた。
三位一体(さんみいったい)とは、キリスト教において「父」と「子」と「聖霊(聖神)」が「一体(唯一の神)」であるとする教え これって、
三アフラ教が由来なんですね。
デューラーの絵「万聖図」(ウィーン美術史美術館)では、聖三位一体は、虹の玉座に就く父なる神と十字架のキリスト、その上部の精霊の鳩です。
ちなみに 後の西方ミトラでは、七惑星神では太陽ミトラ、木星アフラ・マズダー(ギリシャでのゼウス)、女神アナーヒター(ギリシアでエロス、ローマでキューピッド)が金星
『ペルシャ神話大辞典より』
http://homepage2.nifty.com/Mithra/Mithraism_Encyclopedia_Persian_Myths.pdf p306
ザラシュストラの死後、三アフラ教 が 成立した(前6世紀キュロス王の時代)。三アフラ教は、ザラシュストラの宗教というよりも、アケメネス朝主導でつくられた諸派折衷的な国教(官製宗教)である。この国教は、アフラ=マズダー、ミトラ、女神アナーヒター を至高三神団と定めたので、ミトラ崇拝が復活した(前五世紀アケメネス朝中期)。
新たに編纂された経典『アヴェスター』の中には『ミトラ祭儀書』が収められた。『ミトラ祭儀書』はすべての祭儀書の中で最も長大で、『アフラ=マズダー祭儀書』よりも厚い。『ミトラ祭儀書』は、三アフラ教成立以前(前2000 年頃)から伝わるものだが、三アフラ教の祭司は、これに三アフラ教的な修正を加えた。その一つが、 「アフラ=マズダーがミトラを創造し、アフラ=マズダー自身と同格の存在にした」という記述である。この記述により、ミトラは地上統治権を持ち、輪廻転生を司る神、すなわち、この世を統治する神になった(アフラ=マズダーは霊界だけを統治する)。
この段階のミトラは、アフラ=マズダーと同格の神にして、ヤザタ神族の長であり、地上統治権を持ち、輪廻転生を司る神ではあったが、アフラ=マズダーにつくられた神であった。しかし、これもすぐに修正され、ミトラはアフラ=マズダーの化身とみなされるようになり、ミトラは正義と真理の体現者になった。 ミトラとアフラ=マズダーの一体性を示すために、経典『アヴェスター』には、アフラミトラという表現が使われるようになった。 時の経過とともにミトラ崇拝はますます興隆し、ミトラ神だけを主神とする国家的公式祭儀ミトラカーナ大祭も執り行われるようになった。
一般庶民は、それぞれの守護神を拝んでいたが、知識人は個々の宗派の神話・教義を鵜呑みにせず、全宗派を包括する普遍的な思想(一種の神智学)を信じていたと思われる。 ズルワーン派の興隆も、おそらくこの傾向と関係している。
アフラ=マズダー、アナーヒターとともに、至高三神団を形成した。アルタクセルクセス二世 405-362 B. C. の頃からミトラだけを主祭神とする国家的な公式祭儀がおこなわれるようになった。さらに、秋には帝国最大の宗教行事であるミトラカーナ大祭(ミトラを主祭神とする大規模な祝祭)が執り行われるようになった⇒『ケウル-ミトラ聖典』の「聖なる歴史の書」。 寺院はミトラの家(ダルエ・メフル)Dar-e Mehr と呼ばれ、祭司はミトラ(=王)を頂点として組織され、あらゆる儀式の場はミトラの保護下にあった。 これらは、みなミトラ単一神教時代に起源を有す。
マギというのも今後出てきますのでここで整理 p211
マギ Magi, Magush
マギは、古代イランの言葉マグシュmagush の複数形である。「マギ」は、祭祀の際に課される役割を意味する言葉で、「供儀」「供物」を語源とするとされる
起源
マギは、イラン系民族の祭司階級のことで、インドのバラモン階級に相当する。
三アフラ教
アケメネス朝は、寺院や祭司団の組織をメディアのマギから学んだので、アケメネス朝時代に新しく建てられた寺院の祭司は、マグパティと呼ばれた。しかし、イラン東部だけは祭司のことをアエスラパティ(ヘールバド)と呼んでいた
(ここから参考でキリストのお話)
中世スラブ語で記された経典『ペルシアの女神アフロディテ』には、次のように記されている。「マタイによる福音書」では不明瞭になっている星の意味が明確に語られている。
このとき、聖堂の高みにある垂れ幕の陰から大きな星(ティシュトリヤ)が現れ、大女神の像の上にとまった。大きな星は、ひときわ明るく輝きながら、両名に語りかけた。「偉大な太陽神ミトラは、汝らのもとにわたしを遣わした。私の役目は、大女神の出産が無事行われるように見守ることだ。大女神は、ベツレヘムに一人の娘として住んでおられる。彼女が生む子は、キリストとなり、ユダヤの人々を迷信から解き放ち、ユダヤ人のための王国をかの地に再建するだろう。」・・・
・・・中略・・・
・・・マギ長から報告を受けると、ペルシア皇帝はさっそく、三人のマギを選び、贈り物を持たせて使者として送り出した。三人の名は、エリーメレフ、エレスル、そしてエリアである。皇帝は、エリーメレフには黄金を、エレスルには小枝を、エリアフには香油を預けた。三人が王宮を出ると、星(ティシュトリヤ)も外に飛び出し、三名をエルサレムへと導いていった。
「三人の哲学者」 ジョルジュ・ダ・カステルフランコ 通称ジョルジョーネ
ウィーン美術史美術館
この絵から、風景が人物と同等の価値を持つにいたった。
この絵は、
・東方三王説
・人生三つの段階を現す説 若者、中年、老人
・三つの哲学(数学)を現す説
などがある。
ヨーロッパの美術館の特徴ですが、模写をするのに、画材一式を持って入れるのには驚きます。
『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』をようやく手に入れてあっという間に読みました。
関係者から聞いている本質が一番わかり易くリアルに書いてある本です。
参考になりました。ありがとうございます。ヒット作です。
を書きました。