世界の小澤の代役での 「イエヌーファ」 |
ウィーン国立歌劇場のヤナーチェク(1854-1928)の「イエヌーファ」(1903年作)です。今回の旅行が「現代音楽」と「廃頽芸術」だったので、1890年代から20世紀初頭にかけてのイタリア・オペラの新傾向であるヴェリズモ・オペラのチェコ版のようなので あまり気が進まなかったのであるが、この日は、他に良い演奏がないので取りあえずっていったところか?
最初の予定では指揮が小澤征爾の予定だったのが、チケット購入時には病気で交代。期待しないオペラだったので怖いもの見たさに小沢征爾でもよいかとか思ったりもしていました。 何しろ小沢征爾は、2chでは、日本のジャニーズ事務所のような 世界のクラッシク界を牛耳る悪徳プロダクション CAMI (Columbia Artists Management Inc) と、ホモ の力で ウィーン国立歌劇場の音楽監督になったと書かれまくっているので、57ユーロの席ならば、見納めに よいかと。
小澤征爾って もともとオーケストラの指揮者、オペラ指揮者ではないのですね。 オーケストラの場合、指揮者そのものを観に来る客もいるので、それなりにパフォーマンスが出来ないとダメですが、オペラはピットに入ってしまうので客がずっと指揮者を見ることはないです。
オーケストラ指揮者とオペラ指揮者の違いを 「あほーや日記」 【2010.10.15】 から引用すると
(引用開始)
先日ダルバヴィ先生と話した時に、『いやぁ~…ボクはプロの指揮者ではないけれど、時々オーケストラの演奏会を指揮する機会があるのね。でも、有名なレパートリーとかだと、最初のキューだけ出せば、あとはオーケストラが勝手に演奏してくれるんだよ。。。
ところが今回生まれて初めてオペラを指揮してみたら…オペラというのは、その場になってみないと何が起こるかわからないし、演出とのタイミングや、歌手の呼吸や、色んな事を考えながら全部コントロールしなきゃいけない「本当の司令塔」なんだねぇが 阿部さんが言ってた「オペラが指揮できればたいがい何のレパートリーも指揮できる」というのを実感したよ』と、しみじみ語っていました
まあ、敢えて例えて言うならば…
オーケストラを指揮するのと
オペラを指揮するのでは
オートマ車を運転するのと
マニュアル車を運転するのとの違い、のようなものがあるのかなぁ。。。
(引用おわり)
オペラ友人と話していると、小澤征爾の場合、歌手が気持ちよく歌っている時にオケを大音量にしたりするので、嫌がる歌手が多数いるとか話していました。
ということで今回の「イエヌーファ」は真っ当な指揮者? で演奏されることに。
若いころ、(棺おけに片足を突っ込んでいたので全盛の演奏は期待できない)カラヤンを聴けなかった後悔があるので 小澤征爾のオペラも 日本で まともな値段を出して聴くこともないだろうし、残念やら良かったやら。
「イエヌーファ」(Jenůfa) 2011年5月19日
指揮 : グレアム・ジェンキンス (Graeme Jenkins)
ブリヤ家のおばさん : マルタ・ベニャチコヴァー(Marta Beňačková)
ラツァ : ヨルマ・シルヴァスティ(Jorma Silvasti)
シュテヴァ: マリアン・タラバ (Marian Talaba)
教会のおばさん: アグネス・バルツァ(Anges Baltsa)
イエヌーファ: アンゲラ・デノケ (Angela Denoke)
まず、演出がビックリする。2002年 音楽監督の小澤征爾がプレミエをやったからだろうか? 第1幕は寂しい山間のブリヤ家の製粉所(一般に水車だが)のト書だが、これが広い舞台全体を使った 巨大な水力発電所のような製粉所である。つまりブリヤ家は地方の資本家になっている。
時代はオーストリア・ハンガリー帝国末期の家督相続の時代だから イエヌーファは金に目がくらんでシュテヴァに恋をしたことで納得。 「男は金、女は顔」が 赤ん坊を捨てる贖罪の くら~い話を受け入れ 最後には「愛」になる物語。
このオペラ チェコ製で人気もないのだが(しかし天井桟敷の立ち見以外 満席) 聴くとすごく良った。 ウィーン国立歌劇場ってオペラ劇場にしてはデカイ。なので、歌手も大変。第2幕など シュテヴァがイエヌーファに腹ませた子を教会のおばさんが殺してしまうのだが、教会のおばさん役のバルツァ、イエヌーファ役のデノケ、ラツァ役のシルヴァスティが、そのやり取りで、だれずに舞台を締め、そしてオペラの最初から最後まで大音量で歌いきった。 すごい~
やはり世界の小澤でなくて良かったのだろうか?