昔の昔の城外散歩 |
中世のウィーンは交易の要所として重要な役割を担うようになった。11世紀末より開始された十字軍運動も人と物の交流を活性化させ、十字軍に参加した王や諸侯らがドナウ川ルートを頻繁に用いてウィーンに立ち寄ったため、一種の戦争特需が喚起されウィーンの繁栄を助けた。こうした中、1155年頃にオーストリア辺境伯ハインリヒ2世はウィーンに居城を移すことになった。(ウィキペディア)
バーベンベルク家 レオポルド4世(1137-41)
ハイリンリッヒ2世(1141-77)
レオポルド5世(1177-94)
では、シュテファン寺院を出発して、バーベンベルク家支配以前の城外跡を歩きます。
お上りさん相手で、地元の人は行かないだろうと思うのだが。。。。。
ルネサンス・ホーフ (Renaissance hof)
1587年以前に建てられたことは分かっている。
南面の装飾豊かな鍛鉄細工は17-18世紀のもの。
その下にマリア像があるのだが屋根だけ?
トスカナ、イオニア式円柱の間を結ぶ欄干が美しい。
さて、次の目的地ハイリンゲンクロイツァー・ホーフ(Heiligenkreuzer-Hof)へ
日本史でいう鎌倉時代以前にできたハイリンゲンクロイツァー・ホーフは、ウィーンの森にあるハイリンゲンクロイツ修道院の冬の館です。 ウィーンの森のハイリンゲンクロイツ修道院は、ハプスブルク家 心中事件の相手であるマリー・ヴェッツェラの墓があることで有名です。そして、教会が貧乏をしていた時、この場所(ハイリンゲンクロイツァー・ホーフ)を賃貸して、教会は生きながらえました。現代でも所有者は教会とか。
そして、夏は中庭にあるレストラン "Hollmann Salon" で食事をしたいものです。
そして、ここにある、聖ベルナルド礼拝堂は、ウィーンのカップルが結婚式を挙げたい人気スポットです。 礼拝堂の中は、ココを参照
-アボットシェーファーが1662年に建て、聖ベルナルド フォン・クレルヴォー
(St. Bernhard von Clairvaux 1091-1153 )が祭られている。
-13世紀からあるハイリゲンクロイツァー・ホーフの建築複合体への統合
-ウィーン市民に最も美しいバロックの場所を提供している。
-1730年にマリオ・アルトモンテの高い祭壇飾り
- 聖ベルンハルトの胸像による豪華に飾られていた入口
- 若いカップルに人気の結婚式の場所
では、郵便局に向かいます。 途中小学生の社会見学に出会いました。
中央郵便局(Haupt postamt)です。
オットー・ワグナーで有名な「郵便貯金局」はこの裏です。
ウィーンの中央郵便局で売っていた切手を貼って送信。
カフェ・ハヴェルカ マーラー、 何かの建築。
では、ローマ城壁内の最古の居留地へ。。。
聖ベルナルド フォン・クレルヴォー
(St. Bernhard von Clairvaux 1091-1153)。
エンブレム:蜜蜂の巣箱、十字架、犬など。守護分野:養蜂家、蝋燭職人。
聖人。神秘思想家。ディジョンに近いフォンテーヌの貴族の生まれ。シトー会士となり、支院クレルヴォーの院長を努め、第2回十字軍の勧説を行った。「他人の感情を損なわないように自分を抑えること。そして他人の意見を尊重すること」が彼の実践してきたことであり、対外的にはキリスト教の歴史の中でも屈指の宗教的人格者であって、8年間にわたる教皇問題を解決しイノケンティウス2世(InnokentiusⅡ在位130-43)を世界に承認させるなど政治手腕も発揮。
http://nobody2005.web.fc2.com/jyunkyou/agata/breast/artbreast.htm
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