映画 『副王家の一族』 |
映画には直接関係がないが、だいたい
オペラというのは、下のような内容です。
①痴話話とか
②精神異常とか
③謀略とか
④殺人の話
⑤騎士道の王子か王女のロマンチック(夢を見る馬鹿の意味)
ところで、『副王家の一族』は、上記のものに、金と権力のおまけ付です。
さすが、イタリヤ 反対から読むとヤリタイ(冗談です)
原作者は、ナポリ・シチリアの王ブルボン家の軍参謀の息子で、歴史的検証が行われています。 服装・美術品も映画ならではの楽しみです。
副王とは、植民地の国王代理の行政官のこと
貴族が死ぬと、相続が発生します。 だから、身内の死=お金(財産)がどだけ入るか、映画では切実に描かれています。
主人公コンサルヴォは、やんちゃで、ベネディクト派の清貧の修道院に入れられます。 そこで、見た祭り(夜の出来事)は、女を買って教会に呼んでいる修道僧で 夜のお祈りは、同じ教会にいる、貧乏なカプチン派にお金を渡して代わってもらう。この時代、修道院の「聖人」 は 女を買わない人と描かれている。(事実だろう) 日本の坊主は、堂々と恥じも外聞もなく結婚しているが。
結婚=閨閥結婚しかありません。主人公コンサルヴォの妹は、ある貴族の弟に思いがあったが、長男と結婚 ロミオとジュリエットのようにロマンチック(夢見る馬鹿)は許されず、弟の方は自殺。
「憎悪こそ生きるすべてだ」と言っていた、主人公コンサルヴォの父の頭に膿(脳腫瘍?)ができた時、医者にかからず、教会の神父のお祈りで治そうとしていた。そして、神父は「あなたが病気は息子がぐれているからです」と、息子は一言、「医者にかかれ」
1860年の時代背景で、金持ちの貴族が、病気の時、医者でなく祈祷というのは、今の日本人では、考えられないと思う。
ヨーロッパでは、神学(哲学)の手下(てした)が 学問(サイエンス)で 医学などは、神学より下等の学問(サイエンス)である。、この学問(サイエンス)を信じる人々の集まりが、そもそもイルミナティのようだ。 イルミナティが日本では秘密結社で使われるが、本当のところは、神学<学問(サイエンス)を信じている人の集まりが始まりであろう。
映画では、主人公コンサルヴォは、貴族が世の中を支配しているときは貴族に就き、貧乏人が世の中を支配するときは、貧乏人に就く。ということで、ブルボン家支配から、イタリア王国になり選挙が行われ、議員で立候補をして 貧乏人についた主人公は当選して、時代を生き残りました。
そして、映画の中で主人公コンサルヴォの言葉
「人間の考え方は、古来から代わっていないので、歴史は繰り返される。」