日教組① |
国旗掲揚や国歌斉唱の時、起立するのは国際的マナーです。「日の丸」や「君が代」が他の人間の権利を侵害する事はありません。また、国旗を利用して 他国の権利を侵害するような政府には、投票しないと教えるのが筋です。
教育について、堺屋太一氏の本を読んでいると、日本が軍備を整え、規格大量生産型の近代工業を発展させるには、国民の規格化が重要と考え、規格大量生産型にはどんな人間がよいかで
①辛抱強い事
②協調性が富んでいること
③共通の知識と倫理観をもっていること
④個性と独創性がないこと
があげられ 近代工業を発展のため、上記の考えに適した国民を作るため、全国一律の教育がなされました。その仕上げが、ナチの「フォルックス・シューレ」にならった、「国民学校」です。教育の消費者である、父母や、生徒から学校の選択の自由を奪う、基礎教育の通学区域制です。 戦後も、教育内容の官僚統制は続き、国民学校の精神(気質)と構造(体質)は残ったままです。
(引用)
世間では教育官僚(文部省や各自治体の教育委員会)と教員組合(日教組)と激しく対立しているように言われましたが、その内容は、教育方法や教員評価の実権をめぐる権限争議に過ぎません。学校や教師の間の競争をなくす点では、両者の意見は一致していました。通学区制の強制入学なら、教師や学校事務局は何の努力をしなくとも生徒を集めることができるからです。
(引用終わり:団塊世代の「黄金の十年」が始まる 堺屋太一)
テレビでも日教組批判を、元悪徳サラ金顧問の橋下知事はしていましたが、 2008年12月10日にNHKで、国際数学・理科教育動向調査で面白いことを言っていました。 数学を実生活で使う方法を教えるのは、48地域中、日本が最低の結果が出てきている。「数学を実生活で使う教育」考えたこともなかったですけど、橋下知事が、競争・競争と言って団塊の教育を受けてきた世代を喜ばせていましたが、アホな先生の元で競争させられる生徒は、たまったもんでは、ありません。競争は、先生のほうでしょう。
また、日本の教育は、先進国に追いつくには、優れたしくみでしたが、先進国となった今、優れた者を、選りすぐれた教育をしなければ、世界と勝負はできません。 スポーツの世界で、遼君や真央ちゃんを鑑(かんが)みればわかるでしょう。小学校の高学年にもなれば、数学が得意な人間は、より数学を力を入れさしすのが、個性を伸ばす教育です。その人間に国語の補修をさせるのがよいのか、疑問をもちます。麻生首相並み(レベルが低すぎるか?)の読み書きができればよいと思います。
戦前の没個性の教育でも、金がなければ、兵学校や陸士や国民師範学校があり、神戸高商(ちょっと前の神戸商大)には商業中学出身の入試枠がありました。 今の一橋大学に商業高校枠があるとは聞いていません。個性の教育は よりひどくなっているのでしょう。
結論として、日教組、日教組て騒いでる人々は、テレビに騙されているのでしょうね。
得意な学科をより伸ばさせるのが個性を伸ばさせる教育でしょう。個性を伸ばす教育が、先進国と教育ですが、先生に競争がなければ、個性すら見つけだせないでしょうね。