バジリカ basilica |
大衆宗教キリスト教が拡まる前 ローマでの秘密結社的宗教だったミトラ教跡の「バジリカ・サン・クレメンテ」を見てきました。 プラトン哲学がミトラ神学になりましたし。
古代ギリシア以来の「バジリカ」という建物がある。「バジリカ」basilica というのは、古代ギリシアの頃から、民衆が集まる多目的ホールのようなものだ。 そこで集会(議会)をしたり、話し合いをしたり、劇場もあれば、市場もある。自分たちの神を祭ってある祭壇もある。そういう大きな建物だ。まだ王様(独裁者)がいないので、お城ではない。中心に神殿はある。それがバジリカだ。 このバジリカの建物は、のちに宮殿(王の居城)に変えられていった。 それはあくまで「神殿 + 議会 + 集会所 + 市場」なのだ。
(引用終わり:『隠されたヨーロッパの血の歴史』)
ラテラノ大聖堂(サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂)ローマの四大バシリカ
古代においてラテラノ大聖堂は「救世主大聖堂」と呼ばれ、ローマの多くの教会のランク付けの中で最上位に置かれ、信徒たちの敬意を集めた。ラテラノ大聖堂はローマ司教としての教皇の司教座聖堂(カテドラル)であることから、「全カトリック教会の司教座聖堂」とも称される。
キリスト教徒たちがこの建物を譲り受けたのはいつの頃かは定かではないが、歴史家たちは教皇ミルティアデスの時代、313年頃ではないかと考えている。ミルティアデスの時代、ドナティスト論争の決着のために教会会議が開かれた。そこでは事効論が採用され、人効論を異端的として退けた。以降、ラテラノ家のものだった邸宅に教皇が暮らすようになり、ラテラノ宮殿(教皇宮殿)と呼ばれるようになった。敷地内の バシリカ は 聖堂に転用されたが、後に拡張されてローマ司教である教皇の司教座聖堂(カテドラル)となった。
(参考) ミトラ教7 - プラトン (西方ミトラ へ)