リッカルディ宮 1445年築
(引用 『ロレンツォ豪華王』)
メディチ宮が未だ完成には程遠い1439年、フィレンチェ政庁は公会議を招致する。この公会議の目的は、何世紀にもおよんだ教会分裂後、ギリシャ正教会とローマカトリック教会の和解と統一を図ることである。コジモ・デ・メディチは、まるで個人の賓客のように、パライオロゴス家の東ローマ皇帝ヨハネス8世と、コンスタンチノーブル総大主教ヨセフスを迎える。彼らは高位聖職者や神学者の一団をひきつれ、教皇エウゲニウス4世との会見に臨む。教皇も多数の枢軸卿、司教、大修道院長にとりかこまれている。1439年7月6日、豪奢の何たるかを知り尽くしているはずのフレンチェの人々も、皇帝、総大主教、そして教皇を先頭に町をねり歩く輝かしい行列に目を見張る。ドォオーモに向かうこの長い行列は、神の子を拝し、黄金と香と没薬とを捧げにベツレヘムにやってきた東方三博士の神秘的な騎馬行列を髣髴させる。
フレンチェの受ける名誉は、コジモとその一族に反映する。彼らはこの思い出を聖遺物箱、すなわち新宮殿の私的礼拝室中に保存することにする。
画家ベノッツオ・ゴッツォーノが注文を受け、この礼拝室をベツレヘムの厩に向かう三博士の行列図で飾る。
サンマルコ修道院のコジモの独居房
(中略)
サンマルコ修道院のコジモの独居房は、フラ・アンジェリコによる、東方の占星術師の行進を示す「三博士来朝」の図で飾られる。ロレンツォもまた、メディチ宮の一階の自室に、同様に三博士を配した同じ画家の円絵を置くであろう。厩に向かう人物たちの顔立ちは作品ごとに異なるが、メディチ宮の礼拝室のため制作されたゴッツォーノの大フレスコ画では、行列の主要人物は、1439年の公会議の際の枢要な来客たちをかたどっている。
この公会議という一大事件の20年後、フレスコ画が彼らを蘇らせたのである。行列の先頭にはヨセフス総大主教と皇帝ヨハネス8世が見える。 ところが、論理的には三番目の博士に擬せられたはずの教皇は、14歳の美少年に席を譲っているのである。この変更は1443年におきたコジモとエウニゲス4世との間の仲たがいの後に決められたものだろう。これはメディチ家の威信を見事に高める結果となる。
大天使ミカエルと見紛うばかりに秀麗典雅なこの金髪の少年騎士、黄金の錦とに身を包み、画の中央で光輝を撒き散らしている若者こそ、大商人コジモの莫大な財産を継ぐ年長の孫 ロレンツォ にほかならない。彼がここに皇帝や総大主教と共に描かれているのは年代的に錯誤としかいうほかはない。ロレンツォは1449年、他の二人のフィレンチェ来訪の10年後に生まれているからである。
それは、実際には、メディチ家の別の盛時に対応している。すなわち、1459年、教皇ピウス2世をフレンチェに迎えるにあったって催された大祝典である。その模様を物語ったものによれば、ロレンツォは例のフレスコ画中に描かれた装束そのままに、勇躍闊歩していたとのことである。4歳年下の弟ジュリアーノも教皇の目前を行進した。彼は画中では、馬の尻に獲物を狩る大山猫をのせ、青い服をつけた若い騎手の姿で、ロレンツォの正面、総大主教の列の中に描かれている。
(引用終わり)
この公会議のあと、メディチ家の「プラトン・アカデミー」が設立された。
ミケランジェロは、ここで”プラトン・アカデミー”の討論を聞いていたんだな~