『秘密諜報員ベートーヴェン』 の ウィーン へ |
ユースから飛行場に向かう駅で、線路の土手に牛が飼われています。これで採算が取れるからスイスの物価に反映。食料自給を高めること、食費が高くなる。
チューリッヒからウィーンは格安航空会社のNIKI航空です。 料金は 3ヶ月前で運賃€33+サービス料€17ユーロ 諸税€32の合計€82 (¥9500)でした。 搭乗券にニキ・ラウダの写真が。
ウイキペディアから NIKI航空 とは、オーストリアの ウィーン国際空港に拠点を置く、国際線格安航空会社である。創業者は往年の名F1ドライバーであるニキ・ラウダである。ニキ・ラウダはかつて、自らの苗字をつけたラウダ航空を経営していたが、機体の欠陥による墜落事故(ラウダ航空004便墜落事故)をきっかけにラウダ航空は経営難に陥り、オーストリア航空に2000年11月に経営権を譲渡した。 その後航空業界に再参入するために2003年、ドイツのアエロ・ロイド航空のオーストリア子会社、アエロ・ロイド・オーストリア(Aero Lloyd Austria)を買収し、自らのファーストネームをつけた「ニキ航空」を設立した。
スチュワーデスさんは、ピンクの作業帽、紺のブレザー、ジーンズです。
機内食は有料とありましたが、無料でサンドウィッチが、重いパンでした。
今回の旅行、中国国際航空は、個別モニターがないので、映画が観れません ということで機内では読書。『秘密諜報員ベートーヴェン』 古山和男著 を読みました。ベートベンの手紙の<不滅の恋人>についての 「恋人=自由」 との学説を仮定した本です。
フランス革命・ナポレオンが近代史において重要なことは、「所有権」の概念が確立したことです。 それまでは、領主(貴族・教会)が領民を所有し、領民の物は領主の物 とされてきました。 もし、領民が成功すれば、領主の物になってしまうなら、投資などできません。
そして、1809年ナポレオンは、ロシアと交易する英国の経済制裁のため「大陸封鎖令」を発動しました。 当時の英国は食料を輸入し、工業製品を輸出して経済が成り立っていましたが、大陸封鎖令により、大陸内の食料は暴落、荘園経営をしていた貴族が没落していきました。 代わりに英国から工業製品が入ってこないので、大陸では新しい産業が勃興していきました。 つまり、貴族が「守旧派」 新興産業家が「改革派」になりました。
・貴族が「守旧派」の代表格が、
メッテルニッヒ(オーストリアの宰相)、
エステルハージ(ハンガリー名門貴族)
・ベートーベンのパトロン(新興産業家・改革派・ナポレオン派)の代表格が
ルドルフ大公(皇帝レオポルド2世の末子)
ロプコヴィツ(今のチェコであるボヘミアの実業家)
エルデーディ伯爵夫人(ベートベン交響曲5番6番はラズモフスキーの連名で献呈)
メッテルニッヒは、ナポレオンにより自分の領地を失い、ハンガリー貴族の妻の後ろ盾で宮廷の要職につきました。そして、北朝鮮、旧ソ連のような 検閲、言論統制、秘密警察の体制に。
当然、新しい芸術は、同じ帝国内でも、ウィーンでなくプラハで受け入れられました。 モーツァルトの貴族の初夜権をパロディー化した「フィガロの結婚」や すき放題していた貴族が地獄に落ちる「ドン・ジョヴァンニ」はウィーンではなくプラハで受けたわけです。
1804年5月18日、ナポレオンは、皇帝になりました。つまり神聖ローマ帝国を占領しようとすれば、 自ら皇帝にならないと「格」の違いにより反逆者になってしまいます。
CDのベートーベンの『英雄』の解説には、ベートーベンが「ナポレオンも俗物にすぎなかったのか!」とナポレオンに捧げる楽譜を引き裂いて床にたたきつけた。ナポレオンに対する正義の人ベートベン怒りが目に見えるようではないか。 1821年ナポレオンがセント・ヘレナで死んだときベートーベンはこの曲の第2楽章「葬式行進曲」を指して「自分はこのことを予期していた」と誇らしげに語ったそうである。 と書かれています。
だけど、heibayは、ずっと、どう考えてもナポレオンに捧げるために1804年に書いた曲に ナポレンオンの葬式を書くのはおかしいと思っていたので、ナポレオン批判の文章は、検閲後のものと考えたほうが妥当だと思いました。 そう、本では、第2楽章「葬式行進曲」は、オーストリア帝国の古い貴族政治の葬式と書かれいたので納得。 ナポレオンにより、自由のない古い貴族政治の終焉とです。
ベートーベンの絵で筆記具は、鉛筆です。これは、ベートベンのパトロンが新興産業として黒鉛鉱山を持っていたので、ベートーベンは、ペンでなく鉛筆というのは納得。
ウィーンは、検閲と秘密警察の都。ベートベンは、楽譜に暗号を載せることで、ナポレオン派の連絡ができました。また、ベートーベンの1812年の手紙に「不滅の恋人」の言葉があります。
七月七日、おはよう――ベッドの中からすでにあなたへの思いがつのる、わが不滅の恋人よ、運命が私たちの願いをかなえてくれるのを待ちながら、心は喜びにみたされたり、また悲しみに沈んだりしています――完全にあなたといっしょか、あるいはまったくそうでないか、いずれかでしか私は生きられない。( 『ベートーヴェン不滅の恋人』青山やよひ著)
著者の古山和男氏は<不滅の恋人>は、「自由の女神」つまりナポレオンが持ってくる「自由」だとの説を採っています。
ところで、ナポレオンがロシア遠征は6月23日 夏至 これはフリーメーソンで重要なヨハネ祭の日。モーツァルトもフリーメーソン、ベートベンもフリーメーソン。メーソンが目指していたのは近代産業。 フランツ・シュテファン、マクシミアン大公も会員でした。
そして、ナポレオンに融資をしていたのがロス茶を含めたフランクフルト金融、フランクフルトは、織田信長の堺のように 大陸封鎖令の中で英国との密貿易がフランス当局が認めた都市。ロス茶は、この密貿易で財をなしていきました。
しかし、ナポレオンのロシア遠征失敗。守旧派が息を吹き返し、新興産業家は破産に追い込まれます。ベートーベンも要注意人物、ウィーンから出れません。 そして、迫害され、苦難を強いられました。
当時の暗殺もある恐怖政治を跳ね返し人間の尊厳を守るためにベートーベンは、不屈の反骨精神を発揮させたのが1824年完成の『交響曲第9番』だったのです。
ところで、ロス茶は、フランクフルとの密貿易で儲けてましたが、新興派だけでなく守旧派の貴族に金を貸し、金が返せなくなった担保の土地が遠征後上がりぼろ儲け、そして、フランフルト金融はナポレオンに重点を置いていたのですが、ロス茶は、両方ともに関係を持っていました。
エステルハージの妻、マリア・テレジアの実家がトゥルン=タキシス家(神聖ローマ帝国の郵便網を整備)は、その後のウィーン体制の後押しによって、ヨーロッパ各地に路線網を広げ そして、郵便馬車には、ロス茶専用の隠し戸が備えられ、秘密の小箱は検閲なしにヨーロッパ中を駆け巡り、ロス茶が、各国政府と深くかかわるようになったのでした。
トゥルン=タキシスの紋章は、郵便のマークの角笛。昔は角笛を配達人が鳴らしたといわれていますが。。。
ロス茶、大儲けの合図になってしまった。