2011年 02月 02日
新羅=秦氏の 天皇家奪還 |
鎌倉時代、八幡神(秦氏)を氏神にした、源頼朝(968-1048)に実権が 軍事政権の樹立により移りました。前回書きました源義光は、新羅三郎とも称していたように、「源氏=秦氏=新羅」なんです。新羅の前身は、始皇帝の秦の圧政を逃れた「扶余系亡命民」によって建国された「秦韓=辰韓」です。
ここで、一つの疑問が? 天皇家は京都なのに、幕府は鎌倉。それもイイクニ作ル鎌倉幕府って習いましたが、もし政治の中心が鎌倉なら天皇家も東のはず。本当に幕府が鎌倉にあったのでしょうか?
当時、東北はまだ別国。鎌倉って、守りやすく、攻めにくい、どうも東北制圧への出城って気がします。 なので、明治政府が、源、足利、徳川の新羅系統を悪者としたいんで、歴史を書き換えたかなと感じがプンプン。 もしくは政府が藤原氏に乗っ取られたので、それを隠すための鎌倉幕府?
(写真)源義光が新羅明神の前で元服したということを知って以来、新羅明神とそれが祭ってある神羅善神堂(大津市三井寺)
歴史上の実権は源(新羅=秦氏)軍事政権になりましたが、天皇家の新羅系への移行は室町時代の清和源氏の血を引く足利義満のときから、室町時代に入る前、楠木正成が活躍し、天皇家が南朝・北朝に分かれます。
そして今まで南朝系(百済遊牧民)の天皇だったのですが、足利義満(1358-1408)と日野康子(藤原北家)の子、後小松天皇の6歳で即位したことにより、北朝系(新羅)系の天皇の誕生、また貧乏になっていた伏見宮家を買い取り、足利義満の妾の子 貞成親王を養子に、そして貞成親王こそが後花園天皇(102代)となるのでした。 足利義満の謀略を知っている人から罵られていて、後花園天皇は「めだたさも世の不思ギなれは天下の口遊にて侍る」(『椿葉記』)と自ら書いています。
ところで、ジブリの映画 『もののけ姫』ですが、製鉄をやっていたのが「たたら」ですね。多々良=大内氏(多羅系)なんです。多羅の鉄を奪いに攻めてきたのがアサノと言っていましたが、しかし映画で家紋を見ると毛利家(安羅系)なんです。 だから、女たちが鉄砲を持って侍に向かっていたのは、多羅vs安羅 とも取れますね。
少年アシタカが西が騒がしいと出発するときにいてた女の子が「カヤ」ですが「伽耶」のことかな。 と考えてしまいます。 すると残った「シシガミ」と「もののけ姫」って新羅のことかな それとも物部氏ってね? そしてシシガミを倒せと唆していた修験道のおっさんたち、なぜか安保マフィアに見えてしまいます。
この後、幕府が徳川に移りますが、関が原の戦いなど、清和源氏系が 徳川(新羅=秦氏)の北朝 対する毛利(安羅=伽耶)の南朝と見ることもできますね。 ただし、徳川の家系図は三度書き直して、清和源氏の血筋にしたのですが、整合性が必要なので新羅系を重要視したことでしょう。
ところで、江戸時代、非人頭(人足派遣・相撲などの興行・徴税)をし切っていた弾左衛門は、新羅系の秦氏・藤原氏を自称していましたので「新羅系天皇、新羅系将軍、新羅系闇社会」のコンビが幕末まで続きます。 (五箇条のご誓文とは南朝の入れ替え天皇の教義と、北朝の「在日特権」)
(参考)「天皇系図の分析について-古代アジア」
by heibay
| 2011-02-02 11:10
| 皇室の歴史
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Comments(1)
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by
秦 嘉伸
at 2011-03-29 00:08
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我ら秦一族は加羅の国から渡来している。元々は百済でも新羅でもない。日本では辛国と書く。九州の辛国宇豆高嶋の地。これを略して辛嶋という。
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