2011年 01月 27日
新羅の占領 日本の誕生 |
ここまでは、天皇家は、扶余・百済、金官、安羅の王様だったのですが、
660年位から百済のお家騒動が勃発、そこに新羅が介入。 663年白村江の役で、新羅が百済を滅ぼしました。 このとき畿内の秦氏が新羅・唐の連合軍に呼応。 畿内制圧の後、新羅・唐の連合軍が九州の倭を占領。 名前を「倭」から「日本」へ。 天皇家が新羅王朝系の人になります。
新羅が占領した時、金官・安羅系の蘇我氏・大伴氏の統治が無かったようにするため、多数のものを破壊。大阪の上町台地は、古墳銀座であった、
ところで、四天王寺という寺は、元々は玉造にあったが移転。 現在の寺の下には、大事な人の墓あった。 要は、「アラ稜」の上に四天王寺が乗っかっているので 名称は、荒稜山 四天王寺。 それが「蘇我馬子=聖徳太子」と関係の深い安羅王の墓で(荒と安羅をかけている) 崇めないように墓を潰してその上に建てた寺です。 墓を荒らさない限り、古墳時代の石棺蓋が境内に放置されていることはありません。 そして四天王寺のモデルは、新羅の慶州に存在していました。 つまり、新羅が建立した寺。 だから 飛鳥時代の移転前はともかく、移転の趣旨からして、四天王寺は、聖徳太子を祭っている訳が無い。
中臣鎌足は1/2は新羅将軍・金ユ信(きん ゆしん)1/2は唐のGHQ郭務悰?(とうかまそ)がモデルで 中臣が後の藤原性になります。 「藤原氏=中臣」であり、本貫(戸籍のこと)は、朝鮮半島南部の比自火(昌寧伽耶)だった。「比自火=ヒジボル=フジバル=藤原」 つまり、天皇が倭(伽耶)の土地の名前を中臣鎌足に下賜したのでした。
ところで藤原ってのは、そもそもが架空で、新羅に協力した秦氏などの「渡来人」間の融和(つまり、新たなる日本人の合成)貴族たちうち四部族の合同・合成でした。
後に革命がおこり平安朝なって、天皇家が百済遊牧民系になったので、新羅王朝に加担した藤原四家の長が 同時に天然痘で滅亡したことにしてしまいました。
ところで、元々は、金属と稲と水のハイテク集団だったサルタヒコ系の弥生水耕民の「穀霊神」(うみのみたま、伏見稲荷とも同じ) に過ぎなかった伊勢神宮を、日神信仰により太陽神アマテルに変更し 金属神から、最高神アマテラスにとってかわられたので、和歌山の名草氏を祭った日前神宮・國懸神宮から鏡を半分移し、伊勢を皇室の聖地化しまいました。
悲しいかな、出雲の神々(安羅=卑弥呼の末裔=公孫氏=大伴氏)ですが、妻入りや注連縄で 反体勢神と分かるように祭ることで 新羅の取り潰しを逃れて、生きながらえました。
(参考)「天皇系図の分析について-古代アジア」
伊勢神宮:皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)を正宮とし、それぞれに別宮・摂社・末社・所管社があり、全部で125社あるらしい。その総称を一般的に伊勢神宮と呼ぶが、正式には単に“神宮”という。
天照大神を祀る内宮よりも、食べ物を祀る外宮が格上ってのも分かりますね~
(引用)
また 秦王国は、『隋書』には華夏(中国人)とあるが伽耶-新羅系渡来人の国であった。 著者は、秦王国を豊国に比定している。 秦氏グループは、採鉱・製錬・金属加工(例、鏡)を行い、蚕産と織物(秦織はたおり)を業とした先端技術者集団であった。先の香春山は銅を産した聖山であり、香春神社を設けて「原八幡神」を祭った。 これを宇佐に分霊したのが宇佐神宮である。
英彦山-救菩提山は九州の山岳信仰の聖山である。彦山伝承には天童・金銅童子が磐窟に天降り49の洞窟にこもったとあり花郎を思わせる。また、飛鳥朝廷に弥勒信仰が伝えられる前から花郎道を介して秦王国には私的に弥勒信仰が伝えられた。
(引用終わり : 日本にあった朝鮮王国 -謎の「秦王国」と古代信仰- 大和岩雄説)
つまり、ミトラ教の影響がある「花郎道」は新羅統一の原動力であり、また「弥勒信仰」もミトラ教なので、宇佐八幡は新羅の影響下ですね。 ミトラ密儀には、洞窟にこもって再生するテーマ。太陽神ソルとの饗宴(儀礼的会食)があります。
(引用)
八幡神と仏教の関係は二つに大別される。一つは東大寺大仏鋳造への賛助であり、
一つは宇佐における境内での寺院造営一つは宇佐における境内での寺院造営である。
天平十三年(七四一) に八幡神官に奉られたものは、経典や度者、三重塔などであり極めて仏教色が強い。
まるで八幡神宮が寺院であるかの様ですらある。これらは弥勒寺に対して奉られたものとも思われる。 いずれにせよ 天平中期の宇佐八幡神官は、弥勒寺という寺院を含んでいる様に思われる。
(引用終わり:「八世紀の神宮寺と仏像について」 田中恵 岩手大学教育学部)
今回の話が現代の天皇陛下にも関係してまして、
・南朝系と言われていますが、一応、百済・倭の「安羅=卑弥呼の末裔=公孫氏=大伴氏」。対する、
・北朝系がこの新羅系統ですね。後に新羅が高句麗も滅ぼしているから、今の北朝鮮系統かな。
中央構造線(大断層)と神社
中央構造線は、プレートとプレートが、ぶつかっているのでエネルギーは高い。
そこに神社を作った古代の人は、感覚で分かったからすごい。
新羅系の神社は 鳥居の上の部分 = のあいだに|がない。 偶然だろうか?
by heibay
| 2011-01-27 19:16
| 皇室の歴史
|
Comments(1)