2011年 01月 25日
熊野本宮 の 八咫烏 |
1月8日 小沢氏が熊野本宮を参拝しました。ということで熊野の歴史を調べるとビックリ!! それと熊野って「神の野」からきているんですね。(神って言葉は、摩訶不思議な力ってことだが)
八咫烏(やたがらす)は、日本神話で、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏である。(カラスはミトラ教神話が発祥)
日本には弥生の民が住んでいました。弥生の民の秦氏についてですが、始皇帝の圧政や、漢に滅ぼされた後の亡命の民の末裔がサルタヒコに率いられた下部カーストの水耕民 苗族・毛族(稲の毛)が弥生人 王族は、グレコ・パクトリア系ユダヤ人(アフガニスタン辺り)で揚子江中流域から人々、朝鮮半島(扶余・金官など)から経由、インドのバラモンの3系統もあり一言では表せないとのこと。
そして京都府宇治市に昔、巨椋池がありここが秦氏の物流の拠点で稲荷に稲穂を入れておく蔵がありました。これが伏見稲荷で、巨椋から大蔵という言葉が。後に金官の蘇我氏が勢力を拡大し、秦氏を畿内から追い払い全国へ散りました。 これが各地のお稲荷さんで、秦氏を祭るのが八幡宮です。お稲荷と八幡宮セットであるでしょ。
ところで、200年頃、満州は倭人の故郷でした。 扶余国内で穢(カイ)族が、佰族に破れ、穢族の一部は金官にいたが、殆どは、金官を通過し、高句麗と縁の深い肥国(熊本)に定住した。 またニギハヤヒ(襲名で、東扶余から朝鮮半島を南下して、多羅国・陝川に入った鍛冶王シャーマンの陝王のこと )
また、邪馬台国は遼東半島の出自を持つ公孫氏の倭の連合国でした。卑弥呼はその血筋を持つ邪馬台国の女王でした。
インドシナから黒潮を利用し、北上してきたインドに本貫をもつ、朴氏のナガスネヒコ一族(球磨盆地と南朝鮮が拠点)が、九州にあった伊都国、王都・西都原の邪馬台国の女王・卑弥呼を攻めて殺し。 宗女・壱与が命からがら逃げてました。 伊予が対馬に亡命している間、東行し現代の和歌山市で ナガスネヒコ一族の名草戸畔*(蛇族、砂鉄の女王)がサルタヒコを追い出しました。
ところで、200年頃、満州に倭人が住んでいました。扶余国内で穢(カイ)族が、佰族に破れました。穢族は、インダス亡命民で殷の王族です。 穢族の一部は金官にいたが、殆どは、金官を通過し、肥国(熊本)に定住した。
神が天の岩戸に隠れ、真っ暗になったのは、穢族の金官に残っていた一部、金官安羅の扶余沸流系穢族の「天日矛(アメノヒコボ)=安羅王=ニギハヤヒ=多羅王」が高句麗が南下してきたため、住民をおいて逃げたからです。 そして、ニギハヤヒは、同じインド系ナガスネヒコ一族の養子に入る。 ところが、物部氏の祖ニギハヤヒは、同じ扶余の壱与側に寝返り、義兄のナガスネヒコを打ちます。
穢(カイ)族は、高句麗の気配を感じて東行しました。 このぽっかり穴が開いたところ(倭=金官+伊都)に入ってきたのが、温祚百済系の金官 蘇我氏です。
熊野本宮 の 八咫烏 カラスは世界共通の太陽神を案内した(西方ミトラあたりから記述がある)。 尚、秦氏の祖、紀の国を収めていた竹内宿禰(金官5代 伊尸品王がモデルだが)は 金官(倭)国 連盟の象徴。竹内宿禰(武=タケシ)(倭の五王? 内=ウツ=珍~宇治) の子供たちは、百済に行き行政に参加。 〔百済が高句麗に破れ、漢江そばのソウルあたりから金官国(倭)内に首都を移した。〕
伽耶(かや)または伽耶諸国(かやしょこく)は、3世紀から6世紀中頃にかけて朝鮮半島の中南部において、洛東江流域を中心として散在していた小国家群を指す。新羅においては伽耶という表記が用いられ、中国・日本においては加羅又は任那とも表記された。
527年の磐井の乱の後 金官国が新羅に滅ぼされ、大伴氏の安羅も新羅・百済に屈し、蘇我氏、大伴氏は日本列島のみに残ります。 ここで蘇我氏が物部氏を追い出し、物部氏は蝦夷(カイ、今の東北)に落ちていきます。 562年に 新羅は 金官・安羅を滅ぼし、中国に認められました。 ここで蘇我氏こと聖徳太子ですが、学問僧で高句麗の使者である慧慈(えじ)が送られてきてます。ということで、ここで高句麗との関係があったからこそ生き延びたとも考えられます。 そして、663年に白村江で新羅が百済を滅ぼし、新羅が日本を占領します。 また唐・新羅連合軍により高句麗が滅亡したのは、668年である。
畿内の古墳群を見ると、
物部氏(沸流百済系)、
百済王系(温祚百済系) →→ 蘇我氏(金官王系・高句麗)、大伴氏(安羅王系)、天日矛系(安羅王系{倭=金官 + 安羅 + 多羅}
(参考)「天皇系図の分析について-古代アジア」
★日中戦争以前、朝鮮半島から満州帝国まで日本が占領したのは、歴史的必然があったかも分かりませんね。
日本を支配する在日には、
高句麗(扶余百済系)=北朝鮮、総連、大正天皇と一部繋がり有り
百済=南朝ロス茶系朝鮮族(伊藤博文はじめとする明治維新その他)
新羅=南朝の亜種(岸信介、李承晩など、統一教会、KCIAもこっち)
この3つがいると思われます。
上2つの多数派は、白村の江の戦いできた難民朝鮮族なわけ。
by heibay
| 2011-01-25 23:17
| 皇室の歴史
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Comments(2)
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by
hiyokosuzume
at 2011-11-08 17:01
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こういう裏事情を知るとまた違った物が見えてきますね。日本vsコリアと言う単純構造ではなく、コリア系で揉めていると見た方が分かりやすいのですね。私のような普通の日本人(弥生系?)からは意外な感じです。これも洗脳?しかしそこまで考慮して歴史を見直すと面白いかもしれない。
統一協会に安倍晋三が関係しているのも納得。
余談ですが、祖母はオルブライトに似ていました。母はイスラエル人に、イスラエルの女性みたいと言われていました。グレコ・パクトリア系ユダヤ人かもしれないですね。
統一協会に安倍晋三が関係しているのも納得。
余談ですが、祖母はオルブライトに似ていました。母はイスラエル人に、イスラエルの女性みたいと言われていました。グレコ・パクトリア系ユダヤ人かもしれないですね。
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heibay at 2011-12-07 01:24
歴史学会で天皇陛下が半島の王であると言えば、歴史学会で出世できないかも知れません。だから学者がサボっているので真実が見えてこないかも分かりません。
聖徳太子(蘇我氏)も中央アジア系の説があるくらいなので、日本人といえども、ルーツは様々ですね。 ただ徳川時代の鎖国で日本は、大きな意味がありますね。
聖徳太子(蘇我氏)も中央アジア系の説があるくらいなので、日本人といえども、ルーツは様々ですね。 ただ徳川時代の鎖国で日本は、大きな意味がありますね。