オペラ 『魔笛』 |
ところで、 このオペラ1幕と2幕で話がまったく違い、1幕では夜の女王が善人で、司教が悪人だったのが、2幕では、司教が善人で女王が悪人になっています。 世間の評論家は、適当につなぎ合わせたことと言っています。
あらすじですが、夜の女王が、ヒラリー・クリントンで、司教が小沢一郎とします。 ヒラリーの侍女3人(安保マフィア)が怪獣(メール事件)から気を失っていた王子・前原を救います。 しかし、たまたまそこにいた、餓鬼の菅が俺が王子を救ったとうそつきます。 そして、侍女から前原が小沢ガールの肖像画を見せられ、一目ぼれ。 ヒラリーが極悪非道の小沢が娘をさらい小沢ガールになっている、救うと小沢ガールはあなたの物に、 前原王子が魔法の笛(検察)をもって張り切り、餓鬼の菅が鈴(裁判所)を持ってしかたなしに付いていく冒険が始まるのです。 (餓鬼:仏教であれも欲しいこれも欲しい、自分に持てる物以上に欲しがること。首相の椅子かな)
2幕では話がかわり、一般のストーリなら話は破綻しています。 司教・小沢が善人で、悪人がヒラリーになってしまいます。 「この神殿に復讐はない。あるのは愛と友情のみ」 まるで、鳩山君の言葉のようです。 そうですモーツアルトは、フリーメーソンでしたから。 友愛でも、民主党を乗っ取られた恨みでしょうか、夜の女王ヒラリーと3人の侍女(安保マフィア)を葬り去るのは構わないのです。
日本のマスコミは、米国の広報機関となっていますから、日本でも小沢革命でもおきたら、価値観が変わってしまいまね。 ただし小沢も善人というより江戸時代後期の田沼意次のような存在でしょう。 その後の松平定信は緊縮財政で、庶民は田沼のほうが良かったと川柳になっています。
・ 田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水
・ 白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき
つまり、善が悪に、悪が善に変わることは、いつでもあるってことでしょう。
本物の『魔笛』ストーリでも自称王子はほとんど分裂症です。 女王様は完全なヒステリー女、鎮静剤が必要です。 パミーナ(heibayの文では小沢ガール)は誘拐されてありがたがっています。 しかしモーツアルトのとびっきり美しいメロディーで、不滅のオペラになっています。
ところで、1789年にフランス革命が勃発しました。 『魔笛』が作曲された1791年は、モーツアルトは、時代が変わるのを予感していたのでしょうか? だから、善人が悪人に、悪人が善人にもありです。 ハプスブルク家の皇帝レオポルト2世の妹がマリー・マリー・アントワネットでした。 まさか庶民にギロチンを食らうとは予期もしていなかったでしょう。 貴族・宗教者・地主の特権階級がフランス革命でやられましたからね。 今の日本なら公務員と特殊法人からお給料をもらっている人とその家族の割合が、フランス革命時に近いそうです。
歌 「地獄の復習の思いが私の心臓でたぎり立っている」
(夜の女王 ヒラリーに似ているでしょ 日本なら小池百合子かな。。。)