Ecce Homo エッケ・ホモ |
(絵:美術史美術館)
ユダヤにおけるローマ総督ポンテオ・ピラト(赤の服)が審問所の外に集まったユダヤの群集に向って発した言葉。ピラトは、兵士たちに鞭を打たせ、嘲笑させたのち、彼を人々の前に引き出して、こう言い放った。
「見よ、私はこの人をあなたがたの前へ引き出すが、それはこの人が何の罪も見出せないことを、あなたがたに知ってもらうためである」
イエス(左上)は、茨の冠を被り、紫の上着を着たまま 外へ出られると、ピラトは、彼らに言った。「見よ、この人だ」。
しかしながら、祭司長や下役どもはイエスを見ると叫んで、「十字架につけよ、十字架につけよ、」といった。
ユダヤ人
小沢氏と同じでしょ!
キリストが生きていたローマ帝国も全盛期、アウグストゥス、ティベリウスの時代は、法治国家ととして運営されていました。
それが歴史で習ったミラノ勅令(313)が出てきます。キリスト教の公認。
コンスタンティヌス大帝は その後の息子たちへの世襲による一族の隆盛を担保する意味では、その地位が「人」によって認められたものではなくそこよりも一段高い存在である「神」が求めたこと、とすることができる、一神教たるキリスト教における神の存在が重要。 人間によって皇帝が決められると、世襲制はしづらい。 ところが人間でない神が皇帝を決めるなら、世襲制がしやすい。なぜって、神の代理人である宗教的指導者は、現皇帝によって地位に就いているのだから (『ローマ人の物語』塩野七生著)
奴隷が50人位いる高所得が、ローマ市民として選挙権をもっていたのですが、
ローマ市民: 「何、アホなこと言ってまんねん!」と、
皇帝側は: 「キリスト教の信者になると税金まけたるわ」
ローマ市民: 「そらキリスト教すばらしいわ」と
脱税の手段としてキリスト教は市民に普及しました。
皇帝は、世襲制ができる、市民は税金が安くなる、そして帝国は滅びると。
日本に当てはめると、国会議員が世襲制になり、献金する大企業・高所得者の税が安くなるって。。。
生産性が落ち、帝国が衰退していくとき、民主政治が衰え、代わりに 神の存在が大きくなっていきました。そして文明の中心がアラブに移っていき、西ヨーロッパは、長い中世の始まり。 すべては、
しかし人類の生産性を大きくなるに従い、生活に余力が出来てくるとガリレオガリレイ(1600年頃)のような 神と科学を切り離す研究者が出てきました。 哲学では、経験論からロック(1632-1704)の自然権つまり人間が、自然状態(政府ができる以前の状態、法律が制定される以前の状態)の段階より、保持している生命・自由・財産・健康に関する不可譲の権利。
ヒューム、及びカントの懐疑的経験論は、「大衆は馬鹿」=「人間も猿と同じじゃん」=「啓蒙(理解力のない未熟な状態から脱する事)なんて無理」が 「だって生物って利己主義(自分さえよければいい)ジャン!」って気づいちゃったわけだね。
だから、ロックの自然権、合理からデカルトの二元論 この2つを統合した統合したカント(1724 - 1804)。 キリスト教に騙されている大衆はバカだから、カントにより 大衆が騙されない法治国家にしようね としたところが始まりだと思います。
今回の暗黒の検察審査会による人類が長い間かけて築いてきた法治国家の放棄。 政治資金報告書の記載ミスによる小沢氏の起訴、それも証拠がない。 法治国家でなくなっていく危機感(国家衰退)を持たなければなりません。 これを煽るマスコミと喜んでいる民衆。 小沢氏だけでなく、税務の裁判で一般の国民が嵌(ハメ)られ始めています。 早く火を消さなければ、火の粉は、国民にも飛んできているのです。
平和事件 藤田宙靖裁判長(最高裁第三小法廷平16・7・20判決)
パチンコ・メーカーのオーナーが、自分の会社にお金を貸付は、税務署の通達で、利息は取ってはいけないとなっていました。 しかし利息分を本来あるべき所得だとして みなし課税し、それも課税は税務長官の一存で決めれると最高裁判決を出しました。 税理士は 税務署の通達(法律に準ずるが法律ではない)どおりやっていますが、税務署の一存で課税できるという、最高裁判例(法律と同格)を出してしまった事件です。
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