映画 『カラヴァッジョ』 |
実は、Caravaggio(カラヴァッジョ)が有名な画家とは、知らなかったのです。
前年12月のボルケーゼ美術館展でカラヴァッチョが有名な画家として取り上げられていて、初めて知りました。 ルネッサンスも終わり、
バロックに移っていく時代、彼を有名にしたのが、徹底した写実主義、劇的な明暗の対比、、後の続く世代においてカラヴァッジオの強い影響が少なくなかったことは、イタリアに一時滞在した際に彼の作品を見たと思われるルーベンス、フェルメール、レンブラントそしてベラスケスへ与えた影響においてたどることができる。それまでの絵は、教会のフレスコ画のように、光や影を入れない絵でした。(光と影で1503年のモナリザの程度だったのかな) キリスト教を広めるために、教会は、聖書の情景を分りやすく伝えるため絵画を用いて、観る引き込むため、画家を必用としていました。heibay も聖書は、美術館で勉強していきました。 教会のプロパガンダに乗せられています。
映画の初め、カラヴァッチョがミケランジェロと呼ばれていたので、ミケランジェロが出てきたのかな思ったら、カラバッチョの本名が、ミケランジェロ・メリージでミラノ近郊のカラヴァッチョで移って育てられたため、カラヴァッチョになったそうです。
映画では、カラバッジョが子供の頃のマラリアで町中に死人があふれていて、黒い甲冑を着けた馬が、人を殺したような場面ところから始まり、それがカラヴァッジョのトラウマとなり、高級娼婦と暴力に開け狂う生活を送る。暴力といっても、真剣で人をあやめるような暴力です。当時のローマでも日本と同じように公開処刑で、首を切られる瞬間の顔や、火あぶりにされる、表情をリアルに見ることが出来、カラバッジョは、その場面を絵に描いてている。
絵は、徹底的な写実主義、聖人の火あぶりを聖人といえども人間がから、現実の人間の火あぶりを書いたら、それが、がに股で、教会の怒りに触れたり、 聖母を街の娘をモデルに描いて、教会への納品を拒否され、ボルケーゼ卿がそれを買っているなど 絵画の革新家であった。
そしてローマ教皇領は、フランス対スペイン・ハプスブルク家のやくざの縄張り争いで、カラヴァッジョは、スペイン派のやくざの親分を剣で殺めたため、指名手配。
最後は、マルタ騎士団にかくまってもらったが、騎士団の小隊長にきらわれ、脱出し、ローマで恩赦になったが、地方の守備隊に伝わらず誤認逮捕、ローマへ船で移動中マラリアにより死亡です。
『カラヴァッジョ』は、1600年当時の歴史が再現されていて、「光と影」の名匠ストローラ撮影監督がカラヴァッジョの「光と影」を追求していて、しかも絵画と歴史が組み合わさり、知的好奇心が刺激される映画でした 。
(映画に出てきた絵画)
上記の2つは、対で奉納され、それぞれ、コンタレッリ礼拝堂の左側、右側を飾っている。
「教皇パウロ5世の肖像」 ローマ ボルケーゼ美術館
聖ヒエロニムスは、荒野で厳しい修行ののち、ヘブライ語の旧約聖書
ギリシャ語の新約聖書をラテン語に訳す。