ロッキード |
(転載開始)
岸は当初は、舞台裏で仕事をし、先輩格の政治家に首相の地位を譲っていたが、やがて自分の出番がめぐってきた。 岸は日本の外交をアメリカの望むものに変えていくことを約束した。 アメリカは日本に軍事基地を維持し、日本にとって微妙な問題である核兵器にも日本国内に配備したいと考えていた。 岸が見返りに求めたのは、アメリカからの政治的支援だった。
(中略)
CIAと自民党の間で行われた最も重要なやり取りは、情報と金の交換だった。 金は党を支援し、内部の情報提供者を雇うのに使われた。 アメリカ側は、30年後に国会議員や閣僚、長老政治家になる、将来性ある若者との間に金銭による関係を確立した。 彼らは力をあわせ自民党を強化し、社会党や労働組合を転覆しようとした。 外国の政治家を金で操る事にかけては、CIAは7年前イタリアで手がけたときより上手になっていた。 現金が詰まったスーツケースを高級ホテルで手渡すというやり方でなく、信用できるアメリカのビジネスマンを仲介役に使って協力相手の利益になるような形で金を届けていた。 こうした仲介役の中に、ロッキード社の役員がいた。 同社は当時、高高度戦略偵察機U-2を製造中だったが、日本とは岸が強化を目指す新しい自衛隊に航空機を売り込む交渉をしていた。
(中略)
他にも岸と同じ道をたどった者がいた。 戦時内閣の大蔵大臣を務めていた賀屋興宣(かやおきのり)である。戦犯として有罪となり、終身刑の判決を受けていた。 1955年に保釈され、58年に赦免された。その後、岸に最も近い顧問となり、自民党外交調査会の主要メンバーになった。
賀屋は、1958年に国会議員に選出された直前もしくは直後からCIAの協力者になった。
(転載終わり)
【コメント】
田中角栄が「はめられた」と言った意味が分りました。
「将来性ある若者との間に金銭による関係を確立した」は、自民党だけでなく、官僚、検察、裁判官、マスコミも留学などのほうほうで同じと考えるべきでしょう。
また、民主党でも 長島昭久議員は、本人のホームページに「米外交問題評議会(←悪の巣窟)で日本人初の上席研究員に。97年夏から日本人初の研究員として外交問題評議会の「朝鮮半島和平構想」プロジェクトに参画。」 と載せているのですから、岸信介と同じと考えるべきでしょう。
U-2はCIA資金により、ロッキードが開発した高高度スパイ偵察機である。